今日も雨が降り続いている盛岡です。
日中の気温があまり上がらず、今日も暖房を入れています。
では、昨夜の晩酌セット。
昨夜は、ホヤ刺し、塩ホッケ(夫用)、水煮たけのこと豆腐とわかめの煮物でした。
昨夜の主役は何といってもホヤです。
少し前に今季初物の殻ホヤを買って食べましたが、まだ少し身が薄く時期が早い感じがしました。
昨夜の殻ホヤは肉厚で美味しかったです。
1個98円!2個でこの量です。
加えて今日の昼。
おうち味噌ラーメンでした。
生中華麺を使いスープも家で作りました。
さて、今日は祖父(母の父)の命日です。
実家の両親と弟と墓園で待ち合わせをして一緒に墓参りをしました。
祖父は昭和20年の東京大空襲によって亡くなりました。
祖母は良く映画やドラマで観るような引き上げ者でいっぱいの汽車に11歳の母と乗り、ふるさとの岩手に戻ったそうです。
すでに二女は岩手に疎開していて、終戦とともにこんな田舎の岩手で母子3人、苦労をして暮らしを立て直しました。
男勝りの祖母を私は子供の頃男だと思っていました。
それぐらい明治生まれの祖母は強くて凛としていました。
小雨が降って辺りはぬかるんでいたので、弟は車で待ち、母は弟の車いすを借りて父と墓前まで来ました。
先に着いた私達で簡単に掃除をして花を飾り、父と母は手を合わせるだけで済むようにしていました。
母が手を合わせながらメソメソと泣く真似をして「早く迎えに来て頂戴」みたいなことを言うので、父と夫と私とで「せっかく安らかに眠っているのにうるさいからまだ来るな、って言ってるよ~」と母をからかいました。
弟が待つ車に戻り母を乗せた後、少しの間車の窓を開けたまま父と弟と美味しいお蕎麦を売っているお店の話をしました。
そこでラーメンの話も出たので今日のお昼は味噌ラーメンにしようと思ったのです。
今日は寒かったのでふうふう言いながら食べる味噌ラーメンが余計に沁みました^^
これはオマケ話になりますが、墓園からの帰り道、夫が「さっきあなたたちが蕎麦の話をしていた時、話に夢中で聞こえていなかったようだけどあの方(母の事)がボソッと何と言ったと思います?」と私に聞きました。
何だろう・・・・
母は話が長引いている私たちに「寒いからいい加減にしろ」って言ったそうです。
その言い方がお墓の前でメソメソしていた姿とあまりに違うので、あの方はまだまだ大丈夫だね~と笑っていました。
それにしても、この間までの暖かさとは打って変わり肌寒い日が続いています。
お天気が回復し暖かくなるころには桜もすっかり散っているでしょう。
今度は私の好きな新緑の季節がやってくるのでそれはそれで楽しみですね。
では、また明日^^
追記:東京大空襲は1945年3月10日の下町大空襲が大きな被害をもたらし良く知られていますが、その前後東京~神奈川県まで何度か大空襲がありました。祖父が亡くなったのは蒲田区などの東京南部から川崎にかけての工場地帯と住宅地の大空襲で後期の大空襲と言われています。