3月15日、雨降りの金曜日、今日は娘の誕生日だ。
さっきおめでとうのラインをし、お祝いを用意しているので都合がいい時いつでも寄って欲しい旨を伝えた。
今日は特に予定なし。
静かに心穏やかに過ごそう。
昨日は忙しくてブログを書けなかった。
備忘録として起こったことを記録する。
面白くもないくどい話になるのでスルーも有り。
3月14日、木曜日父病院外来にて10時の予約診察。
昨日は朝からぼたん雪が降って悪天候だった。
父に電話して様子を聞くととても具合が悪そうだった。
一旦電話を切り、とりあえず朝ご飯を食べ始めた。
この直後問題が起こる。
父の病院の送り迎えは私がして付き添うことになっていたが、悪天候と父の具合の悪さなど考え、Mさんが「私もついて行こうか?」と言ってくれた。
そこへ弟から電話があって急に車を出そうかと言われた。
そういう場合、車いすの弟は車で待つことになる。
私としては悪天候で寒い中、弟を車で長時間待たせるのはどうかと思ったし、一旦家に帰ってもらって迎えに来てもらう手もあるか、などとまたまたいろんな考えが渦巻いて即頼むとは言えなくて私の車で行くと言った。
そこで病院の相談窓口に予約をしていた訪問看護の話を出し、説明を受けて即答はせず持ち帰ってくるけど、もし反対ならそれでもいいと思う・・・と言いかけたところで急に弟が畳みかけるようにしゃべりだした。
「反対」という言葉に強く反応してそういう言葉は使っていないと言った。
さあ、こうなると厄介だ。
言いがかりだもの。
私は確かに「反対」という言葉を使ったが、なぜそう思ったか私の話も聞いてほしかったがもうそれは無理。
弟の会話の特徴で私がひとこと言うとどんどん論点をかえて言った言わないの話になる。
そして電話しながら父に「俺は反対って言ってないよな」と何回も念押し、父の「言っていない」という声が聞こえた。
父は私に向けて喧嘩するなと怒った。
話はさかのぼり(ここからの何行かは一昨日のブログmoreと重複する)支援相談員さんとの連絡の窓口は私になっているため私に訪問介護の件について連絡が来たことを弟に話したときに、どこか不安があるように私には思えた。
水曜日の午後、Mさんのリハビリの送り迎えの時にゴミを持って行って欲しいと言われ(ゴミ捨ては私の役割)取りに行ったとき、昼寝している父の寝顔を見て、忙しいのですぐ帰ろうとする私にわざわざ玄関に出てきて「今は自分が飲み物など父に飲ませているので点滴をしなくても大丈夫だと思う」というような内容のことを言った。
それで私が「ごめん出しゃばりすぎたかもしれない、私は父の治療について少し先を見ているものだから」と一言詫びた。
すると「自分は先が全く見えない」と弟は言った。
兄夫婦と姉と私は父が急変しないようにそのことに力を注ぎたかっただけで、足並みが揃わないことでこの話は無理かもと思った。それでとにかく話を持ち帰って判断は父と弟が決めることだからねと念を押して取り急ぎ帰ってきた。
私のその態度を昨日の朝の電話で捨て台詞を言って帰ったと言われた。
更にストレスでカリカリしていると言われ、その言葉にショックを受けたとき、じーっと電話の内容を聞いていたMさんがついに我慢しきれず弟に聞こえるように「あなたはずるい!」と怒鳴ったので電話を切った。
そんなこんなで時間が過ぎていき、朝ご飯は食べる気もせず、病院へ行く支度を始めると弟から電話があり、Mさんが出た。
そこでMさんは弟を叱った。
「あなたとは会話ができない。○○さん(私)には何も言わせないで一方的にしゃべっているではないですか!」
そのあと言葉のやり取りがあり病院には私がついて行くとMさんが言うと弟は「じゃあ俺は何もすることがないな」と言った。
そこでMさんは「あなたはお父さんの事について判断を下す大事な役割があるでしょ!」大声を出した。
Mさんはもう何年も実家と私の様子を見ていて、ずっと思っていることがあった。
もちろん私たち夫婦が何を言える立場でもなく、言われる通り3年ほど前から母の介護の手伝いをする機会があり、頻繁に実家と関わることになってからも、私は出来ることをして来た。
父のことも確かに今は父ファーストになっているが、それを嫌だと思ったことは一度もないし愚痴をこぼしたこともないのに「ストレスでカリカリしている」と言われたのは本当に心外でショックだった。
何も言えない私の代わりにMさんが代弁してくれて私は嬉しかった。
さて、ところがその後が大変。
父を迎えに行き、Mさんは「80にもなって喧嘩を吹っかけてすみませんでした」と父と弟に謝った。
でも父はMさんを許さないだろうな。
大人の男の人に初めて叱られた弟は泣き始め、それを見た父は弟が一番頑張っているのに喧嘩をした私が悪いと私を怒った。
Mさんは喧嘩をしたのは私ですからと私をかばってくれたが、私はまたいつものパターンになった・・・と思いながら気持ちが引いて行った。
2月15日、父に付き添って病院に行ったとき、父の状態が悪く入院になった際に担当医師に呼ばれその後のことについて話を聞いた。医師は最悪のケースの場合を言う。
4人兄弟の中で血縁的に一番遠い私が1人で話を受け止めることになり自分の運命を悲しく思った。
点滴をしている父のところへ戻らなければならないことを考え泣いてはなるものかと我慢した。
でも、涙は溢れてくる。
医師がティッシュを差し出してくれて、しばらく泣かせてくれた。
その後、長生きできる例はいくつもあって今後の治療次第では希望が十分あると言ってくれた。
もう、それを先に言ってよ。
その時から私は次に泣くときは父の状態が良くなって食事ができたときの嬉し泣きだと心に決めている。
それまで泣いたりはしない。
病院へ行く車の中で、明日16日に予定していた家族会議(兄夫婦と姉も交え今後の父と弟のサポートなどについて一度みんなで集まろうと言う話になっていたこと)は弟の不安定なことを理由に延期だと父が言った。
「大体、みんなで集まって何を話すのだ」
父の言葉を受け止めた。
そうなったのも私たち夫婦のせいで兄と姉には電話で謝罪した。
兄嫁さんがそんな私を労ってくれて明日は父の事抜きで女三人でお茶会をしようと言ってくれた。
話は変わり、昨日の父の事、診察後予想通り栄養剤と水分の点滴があった。
2時間ほどかかるその間にMさんと病院のレストランで昼食を摂り、慰労相談窓口で訪問看護について相談した。
相談員さんの話はとても分かりやすかった。
介護保険での訪問看護は回数に限度があり、それを超えた場合実費の診療代がかかるそうで結局後々経済的負担が増える。
医療保険だと、その家庭の収入額にもよるが、父の場合上限が決まっていてそれ以上はかからない。
回数は毎日でも受けられるそうだ。
父の場合認知症はなく、病気の進行を遅らせるのが目的なので医療保険の方がメリット大なのだ。
相談員さんがすぐにでも手続きが出来ると言ってくださったが、諸事情を話し家に持ち帰り、今後は弟を窓口にしたいとお願いしてきた。
父の点滴が終わり家に送って行き、訪問看護の件は弟にバトンタッチした。
すると弟は医療保険と介護保険と2本立てだとややこしいとのこと。
そこでやっとわかった。
何か引っかかりがあったのはそのことだったんじゃないかな。
最初に言って欲しかった。
詳しく説明するも、分かったのかどうか・・・
弟は私に母の時に介護関係のことは経験があるので何でもわかるような話をしていたのでそれをうのみにしていた。
いずれ変更も出来るし断ることもできる。
治療は医療保険、リハビリは介護保険と2本立てで行くことがいいと思うのだが、判断を二人に委ね私は手を引くことにした。
私には母の介護の時から始まりMさんの入院とリハビリ、父の事・・・私なりに専門職の方たちとのネットワークがある。
医師をはじめ父が少しでも良くなるように尽力してくださっている。
プロの方々に頼り、分からないことは恥ずかしいと思わず積極的に聞いて父のための情報と選択肢を増やしたい。
昨日父を送り届けた後食材を買い家に帰ったのは午後4時近かった。
それから肉大根を煮て、鶏天を揚げ、刺身など加え相撲中継を観ながらMさんと晩酌、怒涛の一日を振り返った。
写真は無し。
珍しく撮った昨日の朝ご飯、結局ほとんど食べられず、今朝食べた